名刺職人ブログ

ホスト歴半年の指名の取れない貴方へ! 姫様の好みの名刺を作れば指名がとれます 

 

今日はですね

姫様の好みの名刺を作れば指名がとれます
何故かと言うと・・・
真剣に書きますので読んで下さい

新人のときにすぐにお客様がつき、新人期間を過ぎたらそのお客様と切れてしまった
貴方へ

昔、練馬、池袋、浅草 でホストをなっていた、私 あじと名刺の松下が自分も
同じ経験をしたので、私の場合はこうしました事を

新人のときにすぐにお客様がつき、新人期間を過ぎたらそのお客様と切れてしまった
貴方にお知らせしようと思います少しでも、貴方のホストとしての仕事の
お役にたてればと思いましたので書かせて頂きます

まず私は、1970年生まれ 現在 48歳 です
18歳からホストを始め、28歳までホストをしてました
コチラが写真てず

コチラのお店で働いていた時に
ソウルオリンピックが有ったり
昭和天皇がなくなり、3日間位、町のネオンが消えた日があったり
−愛が止まらない− の曲で女の子二人組のWinkが、デビューした年でしたね

夜の町では、テレビ朝日で「トゥナイト」が放送されていたり
池袋がキャバクラ戦争といわれキャバクラとショークラブが数多く有りました
毎月月末は千秋楽と言って、ショーダンサーのおつかれ様の花でイッパイに
なってましたね

ホストクラブでは、歌舞伎町では、{愛本店}は勿論 {夜の帝王} {キャッツアイ}
池袋では {コスモス} {ベルファム}
浅草では{ヤマト} {ナイト東京}など
社交ダンスを踊れるホールが必ず有り
生バンドが入っているお店ばかりでした
だから、ホスト=社交ダンスが踊れるとなり、
私も一生懸命ダンスを覚えました(今でも忘れてもせんね)

テレビなどはまだ、ホストクラブの放送はしてませんでした
ナイタイと言う新聞が毎週月曜日に出されるので、その中に
ホストを紹介するページが有りました
なので、お店がオープンした、などの情報はその新聞だけでしたね

ホストを目指しました

そんな中、中学校を卒業して、職業訓練校を2ヶ月で中退して
16歳で仕事をいろいろとするも続かず、
住み込みで浅草の蕎麦屋に働きに出ました

蕎麦屋の住み込みで働きながら、職場の先輩と歌舞伎町 六本木のディスコ や
夢の島へドライブに行ったり
浅草のロックでオールナイト映画を見たりして
楽しく過ごしていましたね
そこでナイタイのをめにしで、ホストの記事を熟読したわけです
18歳になったらホストをしようと決め、そこから一人暮らしするため
貯金をはじめました

18歳で何も解らない、自分が不動産屋の口車にのせられて 埼京線の浮間舟渡と言う東京のハズレに
エレベーター無しの5階建てのワンルームマンションを借りました。
不動産屋の口車にのせられたとしても、自分の城がてきた訳なので、家賃を稼ぐために
ホストクラブを探しました

何も解らない新人で太客が付くのは・・・どうなんでしょう

そこで、練馬のカサノバと言うお店にはいつたのです 源氏名は 美里 にしました
当時、ホストが6人いて、全くの素人の自分が入ったのですが、当時は童顔で
付くテーブルには、会話もはずみ嫌われては居ない感触でした
それから1ヶ月ぐらいしたら、
エステを経営している女性社長のお客様が、美里を指名してくれる始めてのお客様が
付きました、
ホスト歴1ヶ月の美里はまるっきりの少年で、ホストとは何かも解らず
普通の少年が
大人の綺麗な女性から誘われたら、断るなんでてきませんし、なずがままでした
そこで関係をもってしまいました
当時美里は童貞ではありませんでしたが、その女社長に対して、その時は愛はありませんでした

が・・・
次の週もその女社長がお店に来るようになり、4万使ってくれて、
また関係を重ねると、こんどは、直接、美里の口座を教えてと言われお金が振り込まれる様になりました
またまた、セカンドバック、スーツ、を買ってもらい、二ヶ月前の貧乏生活が、ガラリと変わりました
そこから、美里の感情は愛に変わってしまいました。

が・・・
当時は携帯電話がまだ肩掛けのとき、
女社長の電話番号を聞いても教えてもらえなかったので、
美里は待つしか無かったのです
でも毎週土曜日に来るようになりました

が・・・
ホスト美里と言っても、人生経験のない少年が、
お店を経営する大人の女性と話が合うわけはありませんでした
関係は2ヶ月くらいで終わりましたね
そこから、いつか?
戻ってくるなんて微かな望みが捨てきれず、
新人期間が終わり、美里にはお客様は誰も居なくなりました
次にお客様が付くまでの期間が長く感じましたね

それ以降は、
お客様は何組か出来き、時日が経つに連れホストとしての経験を重ね、そんな中
水商売の名刺屋を手伝うことになりました、
だから昼間は名刺屋で、夜はホストの生活をするトコになります

名刺屋なので、あんな名刺を作ってみよう こんな名刺を作ってみよう この名刺は作るべきでしょう
の考えから、
「あっ! あのお客様にはこの名刺を渡そう」
と言う考えがうまれたのです


当時は、個性的な名刺はありませんでした。
写真名刺なんかはとんでもない。

そんな中で名刺を紹介させていただきます
まず一種類目は若い女の子に必ず可愛いといわれて、捨てられない名刺を作りました
ラフの画像ですがこの様につくります。想像下ください

なので、ホストが当時6人位いましたが名刺は捨てられなかったですね
次にこれはほんとに、名刺で指名客とれましたそれがこちらの名刺です

下の猫の名刺でセーラー服姿の渡しの隣のお客様が付きました
初めの会話は勿論猫のことで話しが、はずんだのはおもえているのですが、
後どのような会話をしたかは覚えていません
しかしこのお客様から、車の免許取得の費用と、中古のソアラを買ってもらいました
なので、初めの名刺が切っ掛けなのは、間違えなく身をもって証明できます

次に
落ちついた和紙の名刺

こちらのお客様は、出会いは、名刺で初めましてから始まり
当時、のホストクラブで欠かせない社交ダンスも切っ掛けになって
お客様になってもらいました。
コチラのお客様とは、9年近くお付き合いさせていただきましたが、
9年後ても私の名刺を大切に持ってくださいました、
当時は何も思いませんでしたが、今となっては嬉しいでよね
かなり年が離れていますので、今何をしているのでしょうかね?
コチラのお客様とも名刺で話しが、はずんでのは覚えています

しかし、昔は・社交ダンスと・生バンド・カラオケ・会話・があり間が持たなかったらダンスとか、バンドの歌を聞いたりとかありましたが
今の時代、カラオケと会話だけなので、今の時代は大変だと思います

以上 あじと名刺 松下の過去の出来事の紹介でした
私はNo1にはなったことは有りません、
お客様で、若い飲み屋の女の子が来ればすぐに、誘い出し
ちょっと、年配の女性のかたですと、甘えてみたり
男性と同伴の女性が来ると、テンション高く馬鹿な事をしてみたり
したホストの10年でした。

と昔の事が思い出してまたホスト時代のいろいろなことを
書かせていただきますので

お楽しみください

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あじと名刺 松下