名刺職人ブログ

会社概要

こんにちは、あじと名刺の松下と申します
まず「あじと名刺」についてお話しさせていただきます

ホストキャバ嬢専門名刺を作って30年になる名刺職人が
昼職とは違う金、銀、黒 スケルトン の紙で夜の仕事の
人が喜びそうな名刺を作る仕事を
立ち上げた個人店です

2018年から日本テレビ「月曜から夜更かし」
毎日放送の「メッセンジャーの〇〇は大丈夫なのか」
テレビ朝日「時効警察」
テレビ東京「新Shock感」にスタジオ出演した
水商売に特化した名刺屋です

この個人店が今までどうしてきたかをお話しさせて頂きます

1あじと名刺を立ち上げるまで
2立ち上げてからリーマンショックまで
3チラシ配りからマーケティングの言葉を知りました

このような流れでお話ししたいと思います

1あじと名刺を立ち上げるまで

1970年に埼玉県の本庄市で生まれました
中学校を卒業して住み込みの仕事で一人で東京に出てきました
18歳のときにホストに憧れ水商売の道に入りました
その時にこれから名刺屋を始める先輩と出会い
ホストをしながら、名刺屋を手伝うことになりました

当時は1980年代バブルの時代です、池袋がキャバクラ戦争と
言われていた時代、まだ名刺と言ったら文房具やさんに頼むなどの
感覚でしたので、ある程度は儲かったと思います

それから10年、私は独立することになり
埼玉県の川越市に定期借家で一軒家を事務所にあじと名刺を立ち上げました

あじと名刺の屋号の由来ですが当時付き合ってた彼女とデートをして食事をしに行くと
暇だったお店が、いつもお客さんが後から入ってくる彼女だったのです
そこで、彼女に決めてもらおうと思いました
でも、男が「えっ!その名前はちっと・・・?」などと言ったは
恥ずかしいと思い、彼女が声に出した第一声に決めようと思い彼女に言いました
すると
「アジト」
私は「えっ!」と思いました、今さっき「えっ!その名前はちっと・・・?」と決めたばかりなのに
当時、1999年まだテレビでは、オウムのアジトがとアジトアジトと言ったましたので、えっと思いましたが
決めたこと、表記をひらがなにしてもらい後に名刺をつけて
「あじと名刺」が誕生しました、
ちなみによくある話ですが、その彼女が今の妻です

2立ち上げてからリーマンショックまで

埼玉県に来たのもあり、立ち上げた当時は順調に来たました
当時の私は、名刺の印刷方法がオフセット印刷と言いまして
素人ではできない方法なので、職人かたぎの気持ちがありした
そんな、名刺を作ってやるよって気持ちの中で、やってきたのが
リーマンショクです
突然、取引していたお店がバタバタと潰れ、月の売り上げが14万円になりました
この時は、正直あせりました。

3チラシ配りからマーケティングの言葉を知りました

そこで、中卒でない頭を使い思いついたのがチラシを配る事でした
チラシは今思うとひどいものでしたが、
チラシはもちろん私が、お店の営業したいない時間にお店の玄関とポストに
入れるホスティングで配ることにしました1000枚作り何軒か反応はありました
そこで、もっとチラシの反応を良くするにはどうすればいいのだろうと思い
マーケティングの言葉を知りました
すると今までの、名刺を作ってやるよ! の考えがどんなにバカな事だったかがわかってきました
それからホームページを作りユーチューブのチャンネルを作りブログ、インスタ、ツイッター
ラインなどのSNSで情報初進をするようになりました
二年前に事務所を新しくして、ユーチユーブ、ブログも200記事を超えた位に
日本テレビの「月曜から夜更かし」から取材の依頼が来るようになりました
このような感じで、平常時は仕事をしていました
売り上げは平均40万円くらいでしたね